時代劇スタッフ人別帳 「す」


杉江 慧子すぎえ・けいこ 〈脚本〉
1934年11月11日生 1980年10月?没

 本名・渡辺祥子。東京都出身、青山学院短期大学卒。1978年、日本放送作家協会研究科修了。短い活動期間ののち、「仕事に行き詰まった」と失踪。1981年6月21日に北海道上川町の層雲峡黒岳で遺体が発見され、自殺とみられた。

 隆慶一郎(=池田一朗)のエッセイ集『時代小説の愉しみ』中に「教える罪(一~三)』というのがある。初出は「新潟日報」'86~87連載のコラムのようだが、これの(三)がどうも杉江慧子についての言及ではないかと思われる。
 隆=池田一朗がシナリオ教室の講師を('84年頃?)辞めた理由のひとつが、シナリオ・コンクールに受かってデビューした結果、天狗になってつまづいていく人を多々見てきたためというのもあるようだ。色々あって、〈以後教えるのは女だけにしよう〉と決め、現実派で安定した土台に立つ主婦だけ指導することにしたという。
〈その中の、四十歳代だが、なかなかの美人で才気煥発の才媛だった。家も大金持ちで夫君も一流会社に勤めている。何不自由ない身だから大丈夫と安心していたのが間違いで、賞をとるなり、彼女はばりばりと書き出した。〉
 仕事を次から次へと受け、あっという間に三年。一人前のプロと見なされるのは当然で、ダメは出される。それが彼女は耐えがたかったようで、自殺に繋がったのではないかという。
〈そして僕は教えるのをやめた。〉と締めくくられるこの項は書中で最も壮絶。

 『機動戦士ガンダム』メインライターの一人で、杉江慧子とは『新・エースをねらえ!』で一緒に仕事をしたことのある脚本家・荒木芳久もまた、ウェブ連載の回想記中で彼女の感性について高く評価しており、その早すぎた死を悼んでいる(草津の山中で発見されたというのは荒木氏の記憶違いか)。 (2016/07/09)

〈担当作品 テレビ・連続〉
 ・1977/04/07~1978/04/27 『同心部屋御用帳 江戸の旋風(3)』制作=東宝/フジテレビ
 ・1978/01/10~1978/09/26 『江戸の鷹 御用部屋犯科帖』制作=テレビ朝日/三船プロダクション
 ・1979/06/20~1979/09/19 『日本名作怪談劇場』制作=東京12チャンネル/歌舞伎座テレビ(協力=京都映画)

〈担当作品 テレビアニメ〉
 ・1977/10/03~1980/10/06 『ルパン三世(2)』制作=東京ムービー新社
 ・1978/10/14~1979/03/31 『新・エースをねらえ!』制作=バンダイ/東京ムービー新社
 ・1979/10/10~1980/09/03 『ベルサイユのばら』制作=東京ムービー新社

※(参照:#11#17#18


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最終更新:2017/04/03

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