時代劇スタッフ人別帳 「ほ」


堀北 昌子ほりきた・しょうこ 〈記録〉
1930年5月5日生

 資料からプロフィールや経歴が辿れるスタッフを拾い上げていると、どうしてもプロデューサー・監督・ライター・カメラマン・照明技師といったポジションの人たちに偏ってしまう。敢えて他のパートの人をと思い、佐藤忠男・編『日本の映画人』目次から逆引き。この本は名前の順からだけでなく、職種別の目次もついているのだ。そしてスクリプターの欄で「堀北昌子」の名を発見。三船プロのテレビ時代劇で度々見かけている名前ではないかとピックアップした。
 ところがどっこい驚くではないか、映画界入りは大映京都撮影所がスタートなのだ。叔父が大映京都の俳優だったため子供時分からよく出入りしており、スクリプターの仕事にも興味を持ったのだという。俳優をしていた叔父さんというのは、これはもう堀北幸夫の他に考えられないだろう。
 京都府京都市出身。京都精華女子高卒業後、1950年大映京都に入社して翌年早くも一本立ち。1954年に日活が映画製作を再開した際引き抜かれ、日活多摩川撮影所へ。山本薩夫監督の大作『戦争と人間』担当後に日活を退社し、三船プロに至ったという経歴。
 そののちフリーとなって伊丹十三監督作品に着き、1992年には日本映画スクリプター協会(現・日本映画テレビスクリプター協会)の設立に携わり、長きにわたって理事長を務めた。同92年、日本アカデミー賞特別賞を受賞とあるのは、協会設立の功労者としてだろうか。(2016/02/27)

〈担当作品 映画〉
 ・1965年 『黒い賭博師』(日活)
 ・1984年 『海燕ジョーの奇跡』(三船プロ/松竹富士/配給=松竹富士)『お葬式』(N・C・P/伊丹プロ/配給=ATG)
 ・1987年 『マルサの女』(伊丹プロ/ニュー・センチュリー・プロデューサーズ/配給=東宝)
 ・1988年 『マルサの女2』(伊丹プロ/配給=東宝)

〈担当作品 テレビ・連続〉
 ・1974/01/01~1974/09/26 『荒野の素浪人(2)』制作=NET/三船プロダクション
 ・1974/03/23~1979/09/15 『大江戸捜査網(里見浩太朗)』制作=東京12チャンネル/三船プロダクション
 ・1976/10/02~1977/03/26 『江戸特捜指令』制作=毎日放送/三船プロダクション
 ・1977/11/26~1977/12/24 『森村誠一シリーズ 暗黒流砂』制作=毎日放送/三船プロダクション
 ・1978/11/04~1978/12/30 『森村誠一シリーズII 青春の証明』制作=毎日放送/三船プロダクション
 ・1979/10/02~1980/03/25 『江戸の牙』制作=テレビ朝日/三船プロダクション

〈担当作品 テレビ・単発〉
 ・1981/10/30 『素浪人罷り通る(1)』制作=三船プロダクション/フジテレビ
 ・1982/09/10 『御用船炎上』制作=三船プロダクション/フジテレビ
 ・1983/02/18 『素浪人罷り通る(4) 去るも地獄 残るも地獄』制作=三船プロダクション/フジテレビ
 ・1983/03/25 『鼠小僧次郎吉 必殺の白刃』制作=三船プロダクション/フジテレビ
 ・1983/08/09 『木に登る犬』制作=日本テレビ/三船プロダクション
 ・1983/11/10 『魔境 殺生谷の秘密』制作=三船プロダクション/フジテレビ

※(参照:#14


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最終更新:2018/09/30

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