何もかもなくしちまったハードボイルド野郎たち
 縁というのは、あるものだ。
 心に念じていると、それが叶って夢のような巡り逢いをすることがある。
 ……というのは本の話。
 古本屋を覗き、つらつらと棚を眺めていて、ちょっとそこらの本を手に取ってぱらぱらと中を見て、元へ戻してフッと顔を上げる──そんな時に素敵な出逢いがあったりする。
 今回そんな風に見つけたのは、カート・キャノン『酔いどれ探偵街を行く』。
 絶版になっている訳でも無く、本屋で取り寄せればいいような本なのだが、ちょうど仁賀克雄『新海外ミステリ・ガイド』で存在を知ったばかりで、無性に欲しくなっていたところだった。

〈おれか? おれは、なにもかも、うしなった私立探偵くずれの男だ。うしなうことのできるものは、もう命しか、残っていない。〉

 冒頭にこんなモノローグがある、1953年~1954年に発表された短篇連作ミステリーである。
『新海外ミステリ・ガイド』でちらっと紹介されていたこの文句、どこかで聞いた覚えがあるゾ……と思ったら、そうそう、1967年の天知茂主演によるテレビドラマ『ローンウルフ 一匹狼』でござんした。

〈おれか。おれは何もかもなくしちまった刑事(デカ)くずれだ。失うものはもう命しか持っていない。〉

 これが天知センセイの声で囁かれると、「これぞ似非ハードボイルド!」という気がしてしまい、思わず喝采したくなる。
 念のため言い訳めいたフォローをしておくが、アチシは似非ハードボイルド(もしくは通俗ハードボイルド)という言葉を否定的には使わない。純粋なハードボイルドとは別個のものと思いつつ、それはそれとして愛すべき支流と捉えている。
 そしてまた、わが敬愛する天知センセイはその体現者であるなァなどと信じてやまない人間なのである。似非ハードボイルドの呼称に悪意は微塵もないことを断言しておく。
 アチシはこのドラマ、「Youtube」でオープニングを観ただけで詳しくは知らないのだが、訳者の都筑道夫が企画に絡んでいたりしたのか、それとも全くのパクりなのか……。

 また、これもサワリを知っているだけだが、佐藤まさあきの劇画にその名も『刑事くずれ』というのがある。イントロの語りがやはりこう。

〈おれはなにもかも失ってしまった/もうこのおれが失うことのできるものはただひとつ/命しかない…/命しか……〉

 今のところアチシが知っている“酔いどれ探偵”のそっくりさんはこの2作。探せばもっとあるかも知れない。
 かくも真似・パクリを繰り返されるのは、この言い廻しが通俗ハードボイルドの主人公のまとう空気を端的に表した“名文句”だからかなァ、などと思ってしまう。

 ところで、『酔いどれ~』の主人公にして著者のカート・キャノンというのは、『87分署』シリーズで有名なエド・マクベインの別名義。
 黒澤明の『天国と地獄』でネタを使われたりと、日本の作品にも影響を与えているこのシリーズ、そのものも実は1980年に『裸の街』というタイトルで、日本でドラマ化されている。
 オンエア当時はハヤカワ文庫の『87分署』シリーズもドラマのスチール写真を使用したカバーをつけて売られていたとみえる。アチシは田中邦衛が表紙になった『大いなる手がかり』を、これまた古本屋で発見。衝動買いしてしまった。
 しょーもないこととお思いででょうが……アチシにとっちゃ、こんな出逢いってたまらなく素敵なのである。

●カート・キャノン/都筑道夫・訳『酔いどれ探偵街を行く』1976年7月 早川書房-ハヤカワ・ミステリ文庫
●仁賀克雄『新海外ミステリ・ガイド』 2008年10月 論創社
●佐藤まさあき『「劇画の星」をめざして 誰も書かなかった〈劇画内幕史〉』1996年10月 文藝春秋
 “劇画”誕生期から青年誌黄金期に活躍した佐藤まさあきの自伝。『刑事くずれ』については本書のP338より引用。現在、絶版。
●エド・マクベイン/加島祥造・訳『87分署シリーズ 大いなる手がかり』1977年11月 早川書房-ハヤカワ・ミステリ文庫
 置き去られた旅行鞄の中から人間の手が発見される! ショッキングな幕開けのシリーズ第12作。現在、絶版。
●升本喜年『テレビドラマ伝説の時代』2005年10月 扶桑社
 松竹のプロデューサーだった著者が、携わってきたテレビドラマと関係者を語る名著。『裸の街』についての記述あり。現在、絶版。

2018/10/20
*旧〈牝犬亭雑記〉2010/12/04掲載分に加筆・修正。書籍情報も初稿段階のもの。

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