三船敏郎を読む
 はじめに……あえて初稿のミスをそのままにしておくことを註記。これは1997年12月24日に没した三船敏郎の「13回忌」と思い込み2010年同月同日に掲載した文章である。
 ややこしいならわしだが、この国に於いては故人の年忌というもの、2年目からは“数え”なのだ。よって13回忌は12年目にあたる2009年がほんとうで、この文章を書いたのは単に没後13年の命日ということになる。そこのところを判っておらず節目と勘違いし、大いに気張ってペンを走らせていたのである。
 意気込み空廻りの大恥晒しながら、それもアチシのミフネ愛ゆえと笑い飛ばして戴ければ──。
 以下本文。


 2010年は黒澤明が生誕100年を迎えたとあって、関連書籍が多数刊行された。
 脚本家・橋本忍の『複眼の映像 私と黒澤明』は、ともに名作を生み出して来た立場から黒澤を語り、論じた名著。文庫化されて求め易くなったのでゼヒ御一読を。

 それはさておき、ミフネである。
 黒澤映画の立役者であり、国際的なスターであった三船敏郎。黒澤のちょうど10歳下だから、生誕90年。しかも、13回忌を迎える。それなのに、今年出版された本で彼の名を冠しているのは、上島春彦『血の玉座 黒澤明と三船敏郎の映画世界』くらいである。これにしたって、黒澤との連名。
 大体、ミフネを正面から扱った本というのが少な過ぎる。というか、ほとんどない。大抵、黒澤メインの本に添えものとして記されているばかりなのだ。
 悲しいことだが出されておらぬなら致し方ない。せめてミフネについて言及された部分のある本を幾らか紹介して、ネットの片隅で行うささやかな13回忌の追善と致しやしょう……。

 ミフネ資料として最も詳細かなァと思われるのが、やはり黒澤との連名であるが、阿部嘉典『「映画を愛した二人」黒澤明 三船敏郎』。両氏とも存命だった頃の本だが、出版社はまだ在庫を持っている様子(2010年12月24日時点)。二人の作品リストや受賞歴、関係者談も収録され、豪勢な一冊である。
 黒澤・三船コンビが名作を生み出していた頃よりも、それ以降のミフネ個人に興味があるアチシは、CM制作に関する部分などたいへん面白く読ませて貰った。三船プロが制作したダーバンのCMに出たアラン・ドロンは「ムッシュ・ミフネと映画の仕事がしたいから出る」と言い、これが『レッド・サン』(1971年)に繋がったのだそうな。

 TVドラマ『Gメン75』小田切警視でお馴染み夏木陽介のインタビュー本『好き勝手 夏木陽介 スタアの時代』(轟夕起夫・編著)には、アラン・ドロンがお忍びで三船プロの忘年会に来たなんて話が載っている。酔ったミフネはあることをドロンに向かって言ったのだが、日本語は通じなかった。何を言ったかは、どうぞこの本を読んで。

 三船プロへ朝一番に出社して(社長なのに)掃除までしていたというミフネの生真面目さは演技面でも同様で、それについてはあらゆる本で語られている。ここでは映画監督の高瀬昌弘が著した『東宝砧撮影所物語【三船敏郎の時代】』の一節を紹介しておく。稲垣浩作品の名スクリプター・藤本文枝の曰く、「三船敏郎は何回テストしても、歩数からセリフの間(ま)までキッチリ決まっている」と。現場には全く台本を持ち込まず、完全に暗記して撮影に望むというミフネ、まるで噺家の八代目・桂文楽みたい、と思うのはアチシだけじゃありますまい。

その反対・志ん生……とはまたタイプが違うだろうがセリフをちっとも覚えない代表格・丹波哲郎は、著書『丹波哲郎の好きなヤツ嫌いなヤツ』の中で、外国語も丸暗記して海外映画に挑むミフネを指して「それでもその努力は大したものである」なァんてのたまっている。この人も何だかヨク判らないが大人物である。

 尤も真面目=従順というワケでは無い。軍隊にいた頃も、部下には優しいが理不尽な上官には敢然と喰ってかかる気骨の人だったことは、佐藤忠男の役者論集『映画俳優』などからも知れる。
 中でも一番の“反逆”は、何といってもこの時だろう。石原裕次郎らとともに、五社協定というシステムと真向から対決した『黒部の太陽』(1968年)製作。熊井啓監督による『映画「黒部の太陽」全記録』は、その苦しい闘いを伝える一級の資料。熊井監督が日活から解雇されるなど、旧態依然とした五社協定の壁に突き当たりながら、関西電力のダム開通を描く作品を以て映画界にも大きなトンネルを開通させた。

ミフネの遺作は、これまた熊井啓監督の作品『深い河(ディープ・リバー)』(1995年)となった。この時ボケが進んでいたと言われるミフネ、戦争を回想する元兵士を演じたのだが、熱く生き生きと話す画を撮る時に、現場で実際に語っていたのは『黒部の太陽』の思い出だったという。西村雄一郎『ぶれない男 熊井啓』を参照のこと。ミフネの人生にとっても、それだけ大きな位置を占める闘いだった、と判る。

 豪快な男ぶりを売りにして、その実几帳面で律儀、しかし芯はびしっと通ったサムライ・三船敏郎。不世出の大スターであったことは、没後13年経った今でも揺らぐことなき事実だ。

●橋本忍『複眼の映像 私と黒澤明』2010年3月 文藝春秋-文春文庫 780円
●上島春彦『血の玉座 黒澤明と三船敏郎の映画世界』2010年4月 作品社 2730円
●阿部嘉典『「映画を愛した二人」黒澤明 三船敏郎』1995年12月 報知新聞社 2243円
 A・ドロンの経歴“「太陽がっぱい」で人気沸騰”と誤植になっているのはご愛嬌。
●轟夕起夫・編著『好き勝手 夏木陽介 スタアの時代』2010年10月 講談社 1995円
 小田切警視が降板になった理由は、本当にささいなことなのです。
●高瀬昌弘『東宝砧撮影所物語【三船敏郎の時代】』2003年1月 東宝株式会社 2800円
●丹波哲郎・著、山口猛・監修『丹波哲郎の好きなヤツ嫌いなヤツ』1999年5月 キネマ旬報社 1365円
 エラそーに言いたい放題の丹哲だが、どうも憎めない。やはりビッグな人物である。
●佐藤忠男『映画俳優』2003年10月 晶文社 3150円
 冒頭で述べている「名優」と「スター」の区別は成る程と思わされる。
●熊井啓『映画「黒部の太陽」全記録』2009年2月 新潮社-新潮文庫 740円
●西村雄一郎『ぶれない男 熊井啓』2010年2月 新潮社 1785円

2018/10/20
*旧〈牝犬亭雑記〉2010/12/24掲載分に加筆・修正。書籍情報も初稿段階のもの。

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