追悼・内藤武敏
 人を好きになるには幾つかのパターンがあるようで、一つは目にした瞬間もうマイッてしまう所謂ひと目惚れ。また一つは初めのうち「こいつ、ヤだなァ」と思っていたのが意識しすぎるゆえか好きに転じてしまう転換型。そしてもう一つ、別段なんとも思っていなかったのが度々見ているうち、なぜだかやたらめったらと好きになってしまっているパターンである。無自覚であるため、最後のケースが一番重症かもしれない。
 というのは筆者の贔屓の役者に関することである。
 例えば第一のひと目惚れをしたのは、憎々しい悪役ぶりでインパクトを示す月形龍之介や安部徹、天津敏など。第二のタイプは「やたら偉そうにふんぞり返って高いギャラ取ってそう」と嫌っていたのに「得がたい存在感だよなァ」などとコロリ転向して好きになってしまった丹波哲郎が最たるもの。そして第三の“醸造型”と言おうか、いつの間にやら出てくるだけで嬉しくなってしまうまでになったお気に入り俳優には、金田一耕助シリーズの警部役でお馴染み加藤武や、この度(8月21日)亡くなられた内藤武敏といった人たちが含まれるのである。

 普段から30年40年も前の作品ばかり観ているせいで感覚は狂いっぱなしなのであるが、筆者の好きな役者は故人であったり今や高齢であったり。今後もますます鬼籍に入っていく人が増えるのだと思うと、気持ちが暗くなっていく。
 内藤氏は享年86歳とのことで、同じ劇団民藝の出身者では大滝秀治や佐野浅夫が同世代という計算になる。何年か前に土曜ワイド劇場でちらっとお見かけしたのが最後だったろうか。時の流れゆえ「仕方ないか」と思いもするのだが、やはり好きな人であっただけにショックは大きい。

 太い眉に、誠実さと意思の強さが同居した目元・口元。小柄ながらも映るだけで画面を引き締めてくれる存在。こういうベテランが、かつては沢山いた。
 俳優座・文学座・民藝という三大劇団のうち最も左翼的傾向が強かったという民藝の団員だったためか、今井正など独立プロ系の社会派映画に多く顔を出し、弁護士や判事の役を演じてうってつけだった。それでも上の世代の滝沢修や宇野重吉らの若き頃と違い、共産主義と結びついた「新劇運動」を唱える時代ではなくなっていたのであろうか(この辺は憶測で言うしかないのだが)、相次いで新劇人が退団し映像世界へ活躍の場を移した70年代初頭、フリーに転じている。民藝では下元勉や佐野浅夫も同じ頃に退団した。
 いまの目からすればこうした新劇の素養ある人たちの演技というのは、大仰でクサい芝居ということになるのかもしれないが、筆者には(体質の問題なのか)前述・下元勉のような“芝居がかった芝居”など好ましく思われるのである。
 その後内藤氏は、渋い脇役として様々な作品に出演。71-72年フジテレビ系の『おらんだ左近事件帳』では主人公・左近(高橋英樹)の気性に惚れ込んで密偵役をつとめる盗っ人・素走りの左平次を好演、一旦感動的に退場しておきながらすぐまた何事もなかったように再登場する節操のなさも素敵だった。
 ただその渋み・重厚さを添えるためだけ呼ばれたような作品(と言うと真っ先に、ワンシーンだけ大ボス役で出演した87年の映画版『スケバン刑事』が思い浮かんでしまう)も少なからずあったものの、氏は案外ロクでもない役であれ大真面目につとめ上げてくれる人であったという印象がある。拝一刀の腕試しをするため天津敏や石山律雄らとともにバタバタ死んでいく依頼人の一人を演じた『子連れ狼 冥府魔道』(73年)、座敷牢に入れられた狂った当主役の『獄門島』(77年)も、妙に忘れ難い。

 今回、追悼の意を込めて描いたイラストは、古谷一行が主演したテレビ版金田一耕助ものの第一作『本陣殺人事件』(77年TBS系)より、久保銀造。
 金田一のパトロンであり、男手ひとつで育てた姪・克子を婚礼の夜に殺されるこの悲劇的な人物は、他にも加賀邦男や下絛正巳といったいぶし銀の名脇役が演じて作品を引き締めていた。なかでも内藤氏は連続ドラマで尺が長かった強みもあり、一柳の分家・伊兵衛(北村英三)と言い争うシーンがあったりと人間臭い銀造になっていて印象深かった。
 後年はテレビドラマの全体的な低質化ゆえかステレオタイプな役どころばかり与えられていたような気がしてならないが、92年には『ひかりごけ』をプロデュース。原作者・武田泰淳が文中で〈上演不可能な『戯曲』〉としている内容を熊井啓監督がそのまま映像にした結果、成功作とは言い難い作品に仕上がってしまったが、この問題作の映画化に取り組んだ気骨は評価されてしかるべきと思う。

 それからこれは余談も余談、まことにもってどうでもいい話なのだが、筆者は以前たわむれに「シェイはタンゲ……」でお馴染み大河内伝次郎の声色(こわいろ)を試みたことがあるのだが、滑舌の加減を間違えた結果、これがなんと内藤氏のエロキューションそっくりになってしまったのである。しかし「内藤武敏のマネができた!」などと喜んだところで判ってくれる人はおらず、随分と悲しい思いをしたのであった。

2018/10/20
*2012/08/31 旧〈牝犬亭雑記〉より転載

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