高倉健が背負ったもの
キネマ旬報』1月下旬号を衝動買いした。
 単に特集が「職業、映画俳優。高倉健」となっていたからではなく、川本三郎氏の連載「映画を見ればわかること」を読んでの衝動買いだった。
 触れているのは、やはり高倉健について。健さんが、長谷川伸の股旅ものから通底する“負い目”をもち“詫びるヒーロー”だったことを書いている。
 いつも「すまない」「申し訳ない」の姿勢を崩さなかった、と。絶対神をもたない日本人の最後のよりどころが、詫びる心をなくさない者の姿だったのではないか、と。
 成る程なァ、と感じる。
 日本人のDNA云々って言い方は、アタシャ大嫌いである。国民性だとかそんなくくりで人間を判断されちゃタマランと常々思う。でも、長谷川伸の作品や健さん映画を観たときに、しみじみ感じてしまうのは、間違いなくそれなのだ。多分、好きなのである。日本人って、そういうのが。
 しかし同時に、意地悪い見方からも考えてしまう。所詮日本人ってやつは、そうした謙虚さ律儀さをひとさまに押しつけて悦に入っているのが好きなだけなのじゃないか。
 自分のことは棚に上げて他者には誠実であることを求めるのが、たまらなく好きな人種なんではないか。
 健さんに喝采を送ったファンたちには、勿論健さんがスクリーンで演じるどうしようもなく愚直なキャラクターに、己の持つ同様の愚直さを重ねて共感する人もいたろう。けれど高所からしたり顔でその謙虚さを褒め称える目も沢山あったに違いない。
 それら引っくるめて「日本人的な」ファン全てを背負い込んだのが、高倉健というスタアだったように思えてならない。
 東映期、『網走番外地』(1965年・石井輝男監督)等の、ちょっととっぽいチンピラあんちゃんだった健さんから、フリーとなってひたすら寡黙な渋い男となった健さんへの変化は、前者を大好きなファンとしては複雑なものがある。が、それはきっと健さんが「背負い込む」覚悟を決めたからそうなったのだ。

 BS朝日で追悼番組として『居酒屋兆治』(1983年・降旗康男監督)が放送されたのを、録画して観た。
 画面左上にはずっと「高倉健さんを偲んで」の文字が入っていたが、これも現在を記録する意味合いになるという気がして、DVDディスクに保存した。
 辛抱立役の健さんを柱に、池部良はじめ大滝秀治ら豪華な役者がもっともらしい台詞を吐きながら通過していくという、『駅 STATION』(1981年・降旗康男監督)あたりで確立された“健さん映画”の典型という印象だった。
 正直なところ、いつもの調子でやってるなぁ、くらいの印象しか抱かなかった。
 しかし、ラストシーン。
 自分の顔が映る窓ガラスに向かってコップ酒をあおる健さん。
 主題歌「時代おくれの酒場」にのせてエンド・クレジット。
 このラストだけで、ああこれでいいんだ、と納得させられてしまった。
 我慢して我慢して、歯を喰いしばりながらやってきている日本人ってやつを、健さんは一身に背負い込んでいたんだと、再確認した。

2018/10/20
*旧〈牝犬亭雑記〉2015/01/31掲載分を転載

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