チャンバラ狂時代 事始
人がものを知りたがるのは何故か。知ったからとてどうなるものでもない事柄にしても、知らないと気が済まない。そんな心理があるのは、教養主義にかぶれたインテリもどきや研究を生業(なりわい)とする学者先生だけに限らないだろう。
 知識を欲せずに生きていく人もいるが、ひとたびこの病?に取り憑かれたら、脱するのは難しい。
 情報化社会とやらいうものも、そうした知識欲の上に成り立っている面が多分にあるだろう。

 アチシがこの「チャンバラ狂時代」を作り始めたのも、元々はそんなところから端を発している。
 先にも書いたとおり、割かし早くからインターネットの恩恵に預かっていた人間だから、映画やテレビドラマについても「検索」を取っかかりにそれからそれへと知識を広げられた。昔日のマニアに比べて、何とお手軽に出来上がった人間であることか!

 今日(こんにち)、何か気になる作品タイトルを打ち込んでサーチボタンをクリックすれば、出てくるのはWikipediaなり専門情報サイト(allcinema、moviewalker、日本映画データベース、テレビドラマデータベース……)はもちろんだが、他に上位を占領するのは通販サイトのソフト情報がずらずらと嫌になるほど。
 アチシがインターネットを利用し始めた十数年前は、もっと他に色々な広がりを持った検索結果が拾えた気がする。
 それは主として個人サイトでディープに語られた文章で、マニアックな世界に踏み入るにあたって随分と助けになったものだった。が、こうしたものは“情報の精度”が高まった(とされる)現在、どんどん下位に追いやられる傾向がある。
 なにしろ通販サイトや配信サービスは、
「実利を伴っている」
 ものであり、そのため上位に喰い込むべく戦略が練られているのであろうから。

 でも、知りたがりの人間が、これこれこういった作品はどんなストーリーで、どの役者がどんな役どころで出ていて……とか細かい“情報”を欲するとき、いま検索エンジンの弾き出す結果は、ちっとも望みのものをもたらしてくれなかったりする。

 受け手として欲しいものを、送り手として発信する側に回りたい気持ちが、ホームページ開設の引き金になった、と言おうか。
 ただアチシは若輩だし何より鑑賞の絶対量も少なく、いわば情報的視野狭窄の身だから、作品に対する気の利いたコメントも深い考察もできよう筈がない。
 せめて俳優陣の足跡を記録するべく詳しい役柄備考を含めたデータ作りを……などと思い、キャストクレジットをもとに補足を書き加えたものをちまちま載せ始めたのが、現在ホームページにある「テレビ時代劇資料庫」の原型である。

 ひとから投稿を募り、幅広く大量のデータを包囲したページにしようとすればできるのだろうが、どうも自身の目で確認したものしか載せたくないという偏狭な心持ちがあり、かくも遅々とした更新ペースになっている。
 しかもキカイをいじるのが億劫ときているから、ますます更新は滞る。
 人手を借りて打ち込みを手伝ってもらったりしたこともあったが、ここでも「自前尊重」の意識が邪魔をして、結局オール・セルフに落ち着いてしまった。

 キャストデータでは、東映系作品だとノンクレジットの脇役諸氏までも確認できる限り拾い上げたい思いがあり、いよいよ作業は進まない。


 時代劇のキャストデータを蒐集し、サイトにアップするようになって幾らか経つうちに、次第と興味の方向が変わってきた。

 表に立って脚光を浴び、功績も残りやすいのが出演者=俳優だ。
 その俳優でも主役格より脇役、悪役の人たちが好きなのはへそ曲がりな性分のせいなのかもしれないが、今度はそれよりも、もっと脚光を浴びることの少ない人たちに目が向くようになった。
 出演者よりも、制作に携わったスタッフ陣の仕事に興味が強くなったのだ。
 これには枕頭の書として貪るように読み続けている能村庸一・著『実録テレビ時代劇史 ちゃんばらクロニクル1953-1998』(1999年1月/東京新聞社)の影響が多分にあるかもしれない。
 それまでキャストを主とし、僅かに脚本・監督のみ記すに留まっていたクレジット写しは、残さず全てのスタッフまで写すようになり、いつしか心境としてはキャストがおまけでスタッフがメインのようになってきた。

 知ったからといって一文の得にないかもしれないのに、知りたくて仕方がない性分は、「この技師がこんなところでも仕事を!」とか「この人は○映の出身だがフリーになって○○プロなどのこんな作品にも参加して……」とかいった“情報”を掴むのを無上の喜びとするに至ったのである。

 ここから派生して、資料を参照し不完全ながらその経歴や関係事項などを記していく「時代劇スタッフ人別帳」なるページが誕生した。
 諸資料からの孫引きずくめで、先人の仕事をつまみ喰いするばかりの愚かしいページに過ぎない。が、どうにもやらずにいられない気持ちで手を染めたものだ。
 わけても、映画と比べてまだ再評価の声が低いテレビ作品に研究(?)の意欲が強い。
 たとえば誰か監督を扱った書物などにおいても、参考資料としてフィルモグラフィは載せられているがテレビ作品についてはほんのついでのように添えられているか、あるいは全く触れられていない、なんてものもある。
(そこへいくとワイズ出版の書籍はさすがの一言に尽きる。テレビ担当作も網羅した巻末資料は圧巻だ)
 映画の全盛期には間に合わずテレビドラマを主戦場としたスタッフについては、はなから足跡を顧みようともしない風潮さえあるのでは、なんて気もする。

 確かにお偉い評論家先生などにとっては、一夜限りのテレビ番組は考察するに値しないのかもしれない。しかしそこにだってスタッフ陣の労苦の結晶としての作品が存在している訳なんじゃァないか。
 へそ曲がり気質が、より一層こんな作業への意欲を燃やしているらしい。
 だから、どちらかというとここでは映画よりもテレビで活動した人たちを主に据えて取り上げる傾向が強い。

 資料繰りよりも、実際に関係者へ当たって……の調査がほんとうなのだろうが、なにぶん学もなければ肩書きのカの字も持ち合わせていないぼうふらのようなアチシである。なかなか踏み出す度胸が持てずにずるずるとやっている。
 そろそろ動き出しては……と、もう一人の自分がしきりと発破をかけてくる。

2018/10/20
ブログ「時代劇党宣言」 2017/01/09及び2017/01/12記事を加筆、修正

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