時代劇スタッフ人別帳 「つ」


塚本 隆治つかもと・りゅうじ 〈美術〉
塚本隆二
1923年12月5日生

 さて困った。参考資料となる『映像メディア作家人名事典』『日本の映画人』(ともに日外アソシエーツ・刊)の二冊で名前の読みが分かれてしまうのだ。前者では「りゅうじ」となっており、後者では「たかはる」と表記。しかし、『俺は用心棒』など一部作品のクレジットでは「塚本隆二」の表記もあることから、ここでは前者を採らせて戴くとする。
 京都府京都市出身。父は帯の図案家であり、デザインに親しむ下地は家庭から既にあったようだ。中学生時代から映画を愛好し、京都市絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)では映画研究会に入り、さらに京都学生委映画連盟のメンバーにも。
 そして在学中、松竹映画『海軍』(1943年・田坂具隆監督)特撮部で真珠湾200分の1の図面を描いたという。映画技師やスタッフの仕事は、助手時代のものともなれば記録に残らず、フィルモグラフィに含まれない下積み期の関与作品が数多く存在するが、これは業界入りする以前の初仕事ということになるだろう。
 ところでこの“京都絵専”、京都の映画人には出身者が多いようで、悪役でお馴染みの俳優・吉田義夫や同じ東映で活躍した美術監督・桂長四郎井川徳道もまた同校の卒業生である。井川氏の著書によれば、これら絵専出の映画人たちは「はみだし会」というグループを作って年に2、3回集まっては飲んでいたとか。
 同校美術学部図案科を卒業したのち、土建会社勤めを経て1947年、京都に東横映画の撮影所が設立されるにあたり、美術部入社。美術助手となる。
 1951年、小杉勇監督『ジルバの鉄』で一本立ち。社員から1957年専属契約、1963年フリーに。映画作品としては1967年『十一人の侍』を最後に、テレビへ活躍の場を移す。東横京都発足とともに働き始め、テレビでの仕事も京都テレビ・プロ、京都制作所(→東映太秦映像)、京都撮影所本体と股にかけその主要作品ほとんどに関わっており、まさに東映京都と共に歩んできた美術監督といえる。(2017/04/12)

〈担当作品 映画〉
 ・1952年 『飛びっちょ判官』(東映京都)*第3回 東南アジア映画祭美術賞
 ・1955年 『源義経』(東映京都)『牢獄の花嫁』(東映京都)
 ・1958年 『源氏九郎颯爽記 白狐二刀流』(東映京都)『火の玉奉行』(東映京都)
 ・1960年 『ひばりの森の石松』(東映京都)『草間の半次郎 霧の中の渡り鳥』(東映京都)『半七捕物帳 三つの謎』(東映京都)
 ・1962年 『旗本退屈男 謎の珊瑚屋敷』(東映京都)『祇園の暗殺者』(東映京都)
 ・1964年 『御金蔵破り』(東映京都)
 ・1965年 『忍法忠臣蔵』(東映京都)
 ・1967年 『十一人の侍』(東映京都)

〈担当作品 テレビ・連続〉
 ・1967/04/03~1968/01/22 『俺は用心棒』制作=NET/東映京都テレビプロ*〈塚本隆二〉表記
 ・1967/04/05~1968/03/27 『仮面の忍者赤影』制作=関西テレビ/東映京都テレビプロ
 ・1968/01/29~1968/07/22 『用心棒シリーズ 待っていた用心棒』制作=NET/東映京都テレビプロ
 ・1969/01/04~1970/12/26 『素浪人花山大吉』制作=NET/東映京都テレビプロ
 ・1970/04/01~1970/09/23 『燃えよ剣』制作=NET/東映
 ・1970/07/12~1973/09/30 『遠山の金さん捕物帳』制作=NET/東映
 ・1971/01/09~1971/04/03 『さむらい飛脚』制作=NET/東映
 ・1972/04/06~1972/09/28 『世なおし奉行』制作=NET/東映
 ・1973/01/22~1973/09/17 『水戸黄門(4)』制作=C・A・L(協力=東映)
 ・1973/04/05~1973/09/27 『素浪人天下太平』制作=NET/東映
 ・1973/10/07~1974/09/22 『ご存知 遠山の金さん』制作=NET/東映
 ・1974/09/29~1975/03/30 『ご存じ金さん捕物帳』制作=NET/東映
 ・1975/04/05~1975/10/11 『影同心』制作=毎日放送/東映
 ・1975/10/02~1977/09/29 『遠山の金さん(1)』制作=NET/東映
 ・1975/10/18~1976/03/27 『影同心II』制作=毎日放送/東映
 ・1976/10/03~1981/09/27 『桃太郎侍』制作=日本テレビ/東映
 ・1978/01/07~1982/05/01 『吉宗評判記 暴れん坊将軍』制作=テレビ朝日/東映
 ・1983/03/05~1987/03/07 『暴れん坊将軍II』制作=テレビ朝日/東映
 ・1983/04/03~1983/09/04 『新 松平右近』制作=ユニオン映画/六本木オフィス(協力=東映太秦映像)
 ・1987/08/24~1988/02/22 『水戸黄門(17)』制作=C・A・L(協力=東映)
 ・1987/10/22~1988/03/31 『三匹が斬る!』制作=テレビ朝日/東映*〈塚本隆二〉表記
 ・1988/01/05~1989/09/26 『長七郎江戸日記(2)』制作=ユニオン映画(協力=東映太秦映像)
 ・1988/01/09~1990/09/29 『暴れん坊将軍III』制作=テレビ朝日/東映
 ・1988/04/21~1988/11/24 『名奉行遠山の金さん(1)』制作=テレビ朝日/東映
 ・1988/12/01~1989/05/11 『続 三匹が斬る!』制作=テレビ朝日/東映
 ・1989/10/10~1990/10/02 『八百八町夢日記(1)』制作=ユニオン映画(協力=東映太秦映像)
 ・1989/05/25~1989/11/30 『名奉行遠山の金さん(2)』制作=テレビ朝日/東映
 ・1990/04/23~1990/10/15 『大岡越前(11)』制作=C・A・L(協力=東映太秦映像)
 ・1990/07/05~1991/03/28 『名奉行遠山の金さん(3)』制作=テレビ朝日/東映
 ・1991/04/06~1992/09/26 『暴れん坊将軍IV』制作=テレビ朝日/東映
 ・1991/05/29~1991/10/02 『銭形平次(1)』制作=フジテレビ/東映
 ・1991/10/08~1992/09/15 『八百八町夢日記(2)』制作=ユニオン映画(協力=東映太秦映像)
 ・1991/11/07~1992/07/02 『名奉行遠山の金さん(4)』制作=テレビ朝日/東映
 ・1993/04/03~1994/03/26 『暴れん坊将軍V』制作=テレビ朝日/東映
 ・1993/05/19~1993/11/10 『銭形平次(3)』制作=フジテレビ/東映
 ・1994/01/31~1994/07/25 『江戸を斬る(8)』制作=C・A・L(協力=東映太秦映像)

〈担当作品 テレビ・単発〉
 ・1982/01/29 『地獄の左門十手無頼帖(1)』制作=東映/フジテレビ
 ・1982/11/26 『闇の傀儡師』制作=東映/フジテレビ

※(参照:#11#14#22

筒井 増男つつい・ますお 〈美術〉
1930年3月15日生

 和歌山県生まれ。新東宝に美術助手として入社し、倒産後はそのまま後身であるNAC、国際放映と移って1974年4月より三船プロと契約したとある。この辺りから『大江戸捜査網』などに名前が出てくる訳だ。
 その後は「たぬき工房」に所属していたのか契約関係にあったのか、詳しくは不明だがTBS・月曜ドラマスペシャルの徳田刑事シリーズではカッコ付で同社の名が併記されている。この「たぬき工房」という名は、80~90年代の二時間ドラマなどで散見されるが、美術・装飾関係スタッフの集団と考えられる。(2018/05/05)

〈担当作品 映画〉
 ・1979年 『戦国自衛隊』(角川春樹事務所/配=東宝)*植田寛と連名

〈担当作品 テレビ・連続〉
 ・1971/09/04~1971/11/27 『天皇の世紀』制作=朝日放送/国際放映
 ・1973/10/02~1974/03/26 『水滸伝』制作=国際放映
 ・1973/10/06~1973/12/29 『無宿侍』制作=国際放映/フジテレビ
 ・1974/01/01~1974/09/26 『荒野の素浪人(2)』制作=NET/三船プロダクション
 ・1974/03/23~1979/09/15 『大江戸捜査網(里見浩太朗)』制作=東京12チャンネル/三船プロダクション
 ・1974/10/01~1977/03/29 『破れ傘刀舟悪人狩り』制作=NET/三船プロダクション(協力=中村プロダクション)
 ・1979/02/11~1979/09/23 『伝七捕物帳』制作=テレビ朝日
 ・1982/03/05~1982/05/28 『女捜査官』制作=朝日放送/テレパック
 ・1982/10/02~1983/09/27 『大江戸捜査網(松方弘樹2)』制作=テレビ東京/ヴァンフィル(協力=三船プロダクション)
 ・1988/04/06~1988/09/21 『はぐれ刑事純情派(1)』制作=テレビ朝日/東映
 ・1989/04/05~1989/10/04 『はぐれ刑事純情派(2)』制作=テレビ朝日/東映

〈担当作品 テレビ・単発〉
 ・1981/10/30 『素浪人罷り通る(1)』制作=三船プロダクション/フジテレビ
 ・1981/12/29 『10万分の1の偶然』制作=日本テレビ/トリッセンエンタープライズ
 ・1982/09/10 『御用船炎上』制作=三船プロダクション/フジテレビ
 ・1983/02/18 『素浪人罷り通る(4) 去るも地獄 残るも地獄』制作=三船プロダクション/フジテレビ
 ・1983/04/08 『素浪人罷り通る(5) 涙に消えた三日極楽』制作=三船プロダクション/フジテレビ
 ・1983/11/10 『魔境 殺生谷の秘密』制作=三船プロダクション/フジテレビ*野尻裕と連名
 ・1983/12/22 『密偵』制作=三船プロダクション/フジテレビ
 ・1985/02/05 『描かれた女』制作=日本テレビ/三船プロダクション
 ・1988/08/06 『夢と承知で 鼠小僧大江戸青春絵図』制作=日本テレビ/ユニオン映画
 ・1991/07/22 『清里高原神隠し』制作=大映テレビ/TBS
 ・1993/07/12 『黒い履歴書』制作=大映テレビ/TBS
 ・1994/07/25 『追跡のオホーツク』制作=大映テレビ/TBS

※(参照:#11)

坪井 誠つぼい・まこと 〈撮影〉
坪井春樹
1916年8月28日生 1981年12月2日没(享年65歳)

 萬屋錦之介のテレビ時代劇や三船プロの作品で名を見かける「坪井誠」「坪井春樹」というのは兄弟か何かなのか? と疑問を抱いていたが、日外アソシエーツ・刊『映像メディア作家人名事典』坪井春樹の項目に「本名・坪井誠」とあった。「春樹」名義は1974年頃から使用しているようだが、かと言ってその後「誠」名義は使わなくなった訳でもなく、その辺りはどういう訳か?
 長崎県出身。マキノ雅弘監督の自伝『映画渡世』によると、東映プロデューサーだった坪井與(あたえ)の実弟とのことである。スポンサーだった神戸銀行の副頭取だか何だかを主役に据えた幻の映画『銀次郎旅日記』(メガホンはマキノ監督が取った)が劇映画キャメラマンとしての一本立ち作品らしいが、表向きは『百面童子』が第1回作品ということになっている。
 経歴としては、1940年に兄と同じく満州映画協会(満映)へ入社して文化映画、ニュース映画を担当。44年撮影技術者養成所を卒業とある。
 この養成所、のち〈日本映画学校〉に関しては内藤誠監督の著書『昭和映画史ノート 娯楽映画と戦争の影』に詳しい。軍国日本の国策に基づき、1942年、報道班員を育成する目的で作られた〈撮影技術者養成所〉を取り込む形で、翌43年、東京・渋谷区代々木山谷町に設立されたのが〈日本映画学校〉である。
 一年制で44年まで生徒を募集したのみで終戦を迎えたため、養成所から数えても生徒は三期生まで。よって、資料の年数をのみ信用すれば坪井誠は43年入学、44年卒業の〈日本映画学校〉生で二期生ということになる。技術習得のため満映から出向して学びに来たメンバーの一人だろうか。同校の三期生にあたるキャメラマン・川又昂は内藤誠のインタビューに答え、一年制の学校だったので先輩後輩の関係が分かったのは戦後になってからで、坪井誠や中沢半次郎(一期生)は一番怖かったと語っている。
 帰国後の46年、日本ニュース九州支局に入社し、49年、東映の前身である東横映画京都撮影所。担当作品が多かったため中村錦之助からの信任も厚かったのか、67年フリーになった後も錦之助(=萬屋錦之介)作品への起用が目立つ。
 1962年には『ちいさこべ』で京都市民映画祭技術賞を受賞。(2016/09/25)

〈担当作品 映画〉
 ・1958年 『江戸の名物男 一心太助』(東映京都)『源氏九郎颯爽記 白虎二刀流』(東映京都)『風と女と旅鴉』(東映京都)『剣は知っていた 紅顔無双流』(東映京都)『一心太助 天下の一大事』(東映京都)『浅間の暴れん坊』(東映京都)
 ・1959年 『殿さま弥次喜多 捕物道中』(東映京都)『独眼竜政宗』(東映京都)『浪花の恋の物語』(東映京都)『風雲児織田信長』(東映京都)
 ・1960年 『殿さま弥次喜多』(東映京都)『親鸞』(東映京都)『続親鸞』(東映京都)
 ・1961年 『家光と彦左と一心太助』(東映京都)『宮本武蔵』(東映京都)『江戸っ子繁盛記』(東映京都)(東映京都)『反逆児』(東映京都)
 ・1962年 『ちいさこべ』(東映京都)『酔いどれ無双剣』(東映京都)『宮本武蔵 般若坂の決斗』(東映京都)
 ・1963年 『一心太助 男一匹道中記』(東映京都)『武士道残酷物語』(東映京都)
 ・1964年 『ジャコ萬と鉄』(東映東京)『赤いダイヤ』(東映東京)
 ・1967年 『喜劇 団体列車』(東映東京)
 ・1968年 『新網走番外地』(東映東京)
 ・1969年 『昭和残俠伝 唐獅子仁義』(東映東京)
 ・1978年 『ピンクレディの活動大写真』(T&Cミュージック/協力=三船プロダクション、S・H・P/配給=東宝)*オンステージ撮影〈坪井春樹〉名義

〈担当作品 テレビ・連続〉
 ・1970/04/04~1970/09/26 『江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎』制作=東京12チャンネル/東映
 ・1972/10/04~1973/04/25 『長谷川伸シリーズ』制作=NET/東映
 ・1973/03/24~1973/12/25 『荒野の用心棒』制作=NET/三船プロダクション
 ・1973/04/01~1973/09/30 『子連れ狼(1)』制作=ユニオン映画/スタジオシップ
 ・1974/01/01~1974/09/26 『荒野の素浪人(2)』制作=NET/三船プロダクション*〈坪井春樹〉名義
 ・1974/03/23~1979/09/15 『大江戸捜査網(里見)』制作=東京12チャンネル/三船プロダクション*〈坪井春樹〉名義
 ・1974/04/07~1974/09/29 『子連れ狼(2)』制作=ユニオン映画/スタジオシップ*〈坪井春樹〉名義
 ・1974/10/01~1977/03/29 『破れ傘刀舟悪人狩り』制作=NET/三船プロダクション(協力=中村プロダクション)*〈坪井春樹〉名義
 ・1977/04/05~1977/12/27 『破れ奉行』制作=テレビ朝日/中村プロダクション(協力=三船プロダクション)>*〈坪井春樹〉名義
 ・1978/01/10~1978/09/26 『江戸の鷹 御用部屋犯科帖』制作=テレビ朝日/三船プロダクション*〈坪井春樹〉名義
 ・1980/05/01~1980/12/04 『非情のライセンス(3)』制作=テレビ朝日/東映

〈担当作品 テレビ・単発〉
 ・1981/11/14 『松本清張の地方紙を買う女 昇仙峡囮心中』制作=テレビ朝日/東映

※(参照:#11#14#19#20


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最終更新:2023/10/05

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